初めまして。
東京傾奇箱、代表の佐藤翼(サトウツバサ)です。
IT関連のお仕事に携わり、かれこれ4年?5年?くらいが経過しました。
ITの世界は移り変わりが早いので常に知らないことがたくさん出てきてしまう業界です。
常に勉強勉強…。それでも「え?なにその技術?」みたいな聞いたことのない話が飛び出すことがあります。
大変な世界に飛び込んでしまったなぁと改めて思います。
自己紹介がてら、自分の経歴を振り返ってみます。
会社を起こす前、直前は障がい者施設で事務と介護のアルバイトをしていました。
(おいおい、ITじゃないじゃないか)
繋ぎのつもりで入った業界でしたが、利用者さんと接する機会もまぁまぁありました。
自他共に認める”見た目”チンピラな僕ですが、なぜだか利用者さんやその保護者さんからの評判も良く、「きっと皆さんは僕の中身を見てくれているのだな(願望)」と思いながら働いていました。
じゃあなぜ繋ぎでアルバイトをしていたのか。
施設の前は何年かIT系の職場を転々としていました。
この時期はなかなか地獄でした。
後述しますが、この時期は僕の体調が絶不調だった時期で、まともに勤務できない中で、片道2時間の通勤や、バチバチのパワハラを受けたり(あまり大声で言わない方がいいんでしょうが、あいつ覚えてろよ…)、など心も体もボロボロでした。
知ってますか?
っていうか僕はこの業界に入って知りました。
ITの会社ってオンラインだのリモートワークだの積極的に取り入れてるイメージあるじゃないですか?(僕だけ?)
この業界って「初めのうちは、自分の食いぶち稼げないんだから、出向してね。」って言われて、コールセンターとか行かされるんですね。
体感8割くらいの会社がそんなイメージです。
しかもだいたい半年から1年。
その中で「戦力になるくらいのIT技術は、勤務が終わって自宅帰ってから時間外で勉強してね」と言われるわけです。
んん、ちょっと愚痴みたいになってしまいましたが、30過ぎて未経験の業種に転職なんてのはこんなもんです。
しかも僕なんて職業訓練校出ただけですからね。こんなもんです。
僕、実は体調の関係で電車に乗れない(乗ると腹痛を起こす)ので、リモートワークに憧れて(憧れてというより、通勤回避)この業界に入ったんです。
でもまぁそんなわけで、片道2時間の通勤とか発生してくるわけですな。
そんなこんなで幾つもの会社をあっっっっっっっっさりクビになりました。
※「体調直して戻っておいで。待ってるから」と言われ、後日連絡すると音信不通という優しい(?)クビでした笑
じゃあそもそも体調悪いってなんなのか?
2017年末に躁鬱病をやりましてね。
気分の浮き沈みも辛かったですが、症状の一部で電車に乗れなくなってしまったんですね。
当時は都内で生活していましたので、電車に乗れないと本当にどこにも行けないんですね。
まぁ今は気分の浮き沈みもほとんどなくなりましたけど、電車はいまだに苦手です。
自分自身、大雑把な人間でストレスとは無縁。
そう思ってましたから、お医者さんから「ストレスからくる双極性障害です」と言われた時は驚きました。
当時はコールセンターでバイトしてましたが、クレームだって平気な人間です。
(都市伝説っぽいですが電話を取った瞬間「ぶっ○すぞ!」って本当にあります)
なにが辛かったんでしょうか?
しかも大学出てからのアルバイトはずっとコールセンター1本でした。
もはや手慣れたもんです。指導する側だってやったことあります。
なにが辛かったんでしょうか?
今でも良くわかりません。
でもまぁそんな訳で体調を崩しました。
大学出てからずっとバイト?何してたん?就活は?
そりゃそう思いますよね。
一応お答えしておきます。
芸人まがいな事やってました。
まぁ一応芸人という事でいいんでしょう。
僕なんかは普段どうでもいいようなことベラベラベラベラくっちゃべってるんで、この話をすると「へぇ、漫才とかやってたんだ」とか言われます。
期待に添えずごめんなさい。
ゴリゴリのシュール系コント作ってました。
昔ライブに出た時に、僕らのオチで会場が静まり返って、次に出てきた漫才師の最初の一言が「僕らのネタはわかりやすいんで安心してくださいね」って言って爆笑とってたことがあります。
いや、僕は面白いと思って台本書いてたんですけどね。
僕としては、”笑いのあるショート演劇”が好きだったので、そのテイストが”お笑い”を見にきているお客様に刺さらなかっただけだと思っています笑
なんでそんなクセのあるものを作ってたのか?
この話は高校時代に遡ります。
伝わる人には伝わるけど、伝わらない人には全く伝わらない。
”ラーメンズ”に出会ってしまったから。
一応公式YouTubeの動画貼っておきますね。
中でもこの「採集」にドハマりしてしまったのがきっかけです…。
ご覧いただければ、僕がどんなコントを作っていたのかだいたい伝わるかと思います笑
紆余曲折ありまして…。
そんなこんなで、体調崩したのと同時期くらいに芸人も辞めてしましました。
でも台本を書くことは好きなので、今でも夜中にコソコソ書いていたりします。
※もしかしたら何かのタイミングで公開することもあるかも知れませんね。
ここまで経歴紹介
ということなんですけれども、基本的に僕の20代後半からの歴史は病気との戦いだったりするんです。
なのでちょっと真面目な話ですが、弊社の理念の一つは、
「働く意思はあるのに、何かのハンディキャップのせいで働けない人が働ける環境を作る」
なのです。
これはブレちゃいけないんだ。これは昔の僕を救うための理念なんだという思いでいます。
まだまだ、話したいことはあるんですが長くなりそうなのでここまでにしておきますか。
もしよかったら、直接話しましょうや?
お問い合わせは全ての人から受け付けてます。
雑談希望とでも書いていただければ時間ある時に対応するかも知れません笑
最後に
前回の記事でお話しした、東京傾奇箱の由来です。
現時点で弊社には東京出身者が一人もいません。
なのに”東京”で出会った。
アーティストとして、こだわりを持って真摯に仕事に取り組む。
周りから理解されなくて”傾奇”者と言われても。
家の中から世界に繋がる小さな不思議な”箱”を使って。
といったところでしょうか。
駄文にも関わらず、最後までお読みいただきありがとうございました。
願わくば、次回はもっと笑える記事を…。